雑念博客

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東京移住計画

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東京に対してどのような印象をお持ちでしょうか。

きっと長く住み続けている人にとっては悪くないのでしょう。

上京したものの引き揚げてしまった人にとってはあまり好きではなかったのでしょう。

いや、そもそも好き嫌いで居住地を選択していない場合がほとんどでしょう。

結果として、今のその状況に至ったというだけのことなのかもしれません。

 

東京生活

僕が初めて東京に行ったのは17歳の時でした。

大学受験のための予備校の冬季講習で、新宿に滞在しました。

初めての東京は、恐怖でしたね。

人口23000人の田舎から、ぽっと出のイモが眠らない街に足を踏み入れたのです。

夜間に独りで、おそらく歌舞伎町界隈を歩いたんだと思います。

キャッチに「お兄ちゃん!!」と声を掛けられ、少女のようにプルプル震えながらその場を立ち去ったのを覚えています。

 

その後大学に合格し、4年の歳月を東京で過ごすこととなりました。

18歳のぽっと出のイモに、恐怖再来です。

初登校の前夜、不安で不安で同じ高校出身の奴に「明日一緒に行かない?」と、少女のようにプルプル震えながら電話を掛けたのを覚えています。

この頃は電車も恐怖の対象でした。

果たして無事目的地に辿り着くことができるのだろうかという不安が常に付きまとうのです。

新しくできた友人に「今度渋谷行こうぜ!」と言われたら、「お、おう。(マジかよ…ハードルたけぇなぁ…)」って感じでした。

新宿のキャッチの巧みな口さばきにより、映画のチケットを売り付けられたこともありました。

 

『東京、こえぇ…』このような始まりだった東京生活でしたが、僕の住んでいたのは東京のベッドタウンである多摩市です。

東京!!うぇい!!みたいな所ではなかったので、慣れるのにそう時間は掛かりませんでした。

4年の間に着実に行動範囲を広げ、当時衣類に夢中になっていたのもあり、代官山と下北沢には本当によく足を運びました。

歳の近い弟もすぐに神奈川の大学に進学したため、桜木町から中華街にかけての海っ端にもよく足を運びました。

しまいには東京ディズニーランドなどにも足を運んでいます。

 

しかしながら、新宿・渋谷などは数えるほどしか行ったことがありません。

とにかく人が多すぎ、何か漠然とした恐怖感があったのです。

4年も住んでいたのに決まった所しか行かず、ぽっと出のイモは結局垢抜けることはできなかったのです。

 

続・東京生活

大学卒業から約5年の歳月が流れ、再び上京する運びとなりました。

イモ、再臨です。

今度は30歳までと心に決め、のこのことやって参りました。

居住地は東京のど真ん中、神田です。

神の田であり、千代の田であり、東京駅の隣り、正にど真ん中です。

学生の時分には無縁だった新宿よりも東の新世界、歳を重ねたのもあってか、もう恐怖はありませんでした。

なぜ神田だったのか、それは結果的にそうなったということです。

神田に住みたくて神田を選んだわけではありません。

とにかく安いゲストハウスを探していたところ、そのゲストハウスが神田にあったということです。

神田という土地は、居住すると言うよりは働きに出るといった所です。

オフィス街であり、何か特別な用事でもない限り、なかなか降りることのない駅だと思います。

駅を降りたら見かけるのはほぼサラリーマンのみと言っても過言ではないでしょう。

そんな場所でもやはりそこで生活をする現地住民がいるわけです、当たり前ですが。

そんな土地柄のおかげで、神田では時間がまともに流れています。

要するに、休日の人口が圧倒的に減るので、土日祝日は街が完全に休みモードに入るのです。

東京ではなかなか珍しいのではないでしょうか。

それ以外にも、当時は自転車を持っていたので、北は上野、南は銀座辺りまでスイスイ行けました。

あの辺りは道が広いので、自転車があるとずいぶん行動範囲が広がります。

と言っても、南は大人の世界で、あまりに場違いだと思っていたのでほとんど行っていませんが。

それから、当時職場のひとつが高円寺だったのですが、通勤ラッシュに巻き込まれたこともありません。

と言うのも、神田は勤めに来る所なので、勤めに行く人が非常に少ないのです。

神田の話ばかりになってしまいましたが、神田生活は総じて悪くなかったのです。

 

 しかし、その反面、学生時代の心の傷を引きずってか、相変わらず新宿・渋谷などはNGスポットの筆頭でした。

友人に「じゃ、渋谷集合ね!」と言われたら、「りょうかーい。(おいおい、冗談だろ。なんでよりによって渋谷なんだ。もっと他にも色々あるだろう。)」って感じでした。

とは言え、当時日本語教師をしており、僕の勤め先の学校はタイ人が多数を占めていたことから、当時まだ20代だったのもあり学生と歳が近く、友人感覚でしょっちゅう遊んでおり、歌舞伎町にあるタイカラオケへ毎週のように行っていました。

 

そして、元々保守的だとは思うのですが、歳を取るとより保守的になるのか、電車に乗るのが億劫になり、もっぱら自転車圏内で事を完結するようになりました。

まぁ、より保守的になったと言うよりは、学生の頃に興味があった物、とりわけ服と音楽に対する興味が薄れたことが大きいのかもしれません。

要するに、イモはイモ以外になりえなかったということです。

シャレオツな所よりも、泥臭い所の方が性に合っており、居心地が良いということに気付いたのです。

 

続・続・東京生活?

かくして、瞬く間に過ぎていった続・東京生活の4年間、学生時代の4年間は若さゆえに痛みを感じる部分が多いのに反し、総じて悪くなかったのです。

ただ、計8年です。

どう考えても、いすぎです。

同じ街に8年て。

なのですが、この期に及んで続・続・東京生活を目下検討中です。

イモ、再々臨です。

理由はただひとつ、なんか面白そうな写真教室を見付けてしまったからです。

これはもう行くしかないのです。

と意気込んでいた矢先、フェイスブック経由でこのような動画が流れてきました。

 


Tokyo rush hour

 

いやー、改めて、東京こえぇ…